らんどせる

小学校は普通の学校に通わせたいという祖父の願いで公立でした。

そこは何もかもが新鮮!みんな方言を話している!そのレベルです。方言禁止だったんです。変な家庭

習い事や塾は相変わらずでしたが、とにかく'普通'が楽しかった思い出

でもやっぱり浮いてしまうんです。標準語に田舎では珍しい混血。ブランド物の服。そして遊びに誘ってもいつも習い事で勉強ばかりしている奴、あと身長も昔から大きかったです。脚も速かった。そして、参観日には祖父が来る。きっと物珍しかったんだと思います。これが親の望む私、でも1番は祖父の望む私でした。人と違う'自慢の孫'そうでなければ価値がないと思っていました。

いじめ はあったんですかね。上級生から悪口とか呼び出しはありましたが、適当に聞き流してました。

嫉妬?もあったのですが、そこら辺は上手く立ち回っていましたとさめでたしめでたし

でも5年生の時の女の担任は陰湿だった記憶。教室のボス猿みたいな先生。きっと小学生に囲まれて幼児帰りしてしまったのかなと当時思っていました。可愛くない子供

お気に入り、とその他の括りが歴然で

先生が自慢の娘の話をしたいと思ったら何時間でも授業を潰すし、特に暴力と言い掛かりが激しかったです。例えば、寝ていないのに目を擦っただけで往復ビンタだとか。

塾通いでテストはいつも満点だったんですけど(鼻に付く発言だったらすみません)、それが気に食わなかったのか目の前で破られたりだとか。私は何も言わないので問題にはなりませんでしたが、友達が宿題を忘れて罰として胸倉を掴まれて黒板に叩きつけられ意識を失った時は流石に問題になって1年で何処かに消えてました。ララバイララバイバイ

その時少しだけ悪いグループとやらに入っていたのですが(つるんでいただけで普通に真面目でした)みんなで運動場引きずり回された時は流石にこいつ…猿かよ…と思っていました。とばっちりなんですけどね、知らねーよみたいな

辞める時に親に言われて花束を渡したのですが、今考えると先生からしたらとても嫌な気持ちになりますよね。「何してもスカした顔してるあんたが嫌だった。」って泣きながら言われちゃいました。気持ち悪い子供だったとは自覚しています。別にカッコつけていた訳ではなく、純粋に無でした。


5年生の時に別の塾に移ったのですが、そこが楽しいパラダイス!!みんな仲良しでした

特に夏合宿が楽しくて楽しくて

みんなとお風呂に入るのが恥ずかしいから生理のふりをして自室で入る子が多い中、パイパンは防御するもの(タオル)を持たないままマッパで股間を曝け出してました


そして中学受験の徹夜時期に突入

唯一地理は壊滅的でした。なんだろう…「意味が分からない」

特に地図の問題は「死ね」という感情しかありませんでした意味が分からない(再度

そして、無事三校特待で合格しましたとさ。本当に良かった。自慢という気持ちは一切なくひたすらにほっとしました。喜びではなく良かった、これでレールから逸れなくて済む